2007年02月05日
キャッチコピー依存症
最近法律を勉強しているのだけれど、それが結構おもしろい。
こんな風な仕組みになってて、法的にはこういう風に判断するのか、
と思うと、社会の構造が別な角度から見えて、
社会は法律体系でできてるんだなぁと実感する。
その法律を決める大事な時期のはずなのに、
大臣の発言がどうとか、議長の落書きが不謹慎とか、
そんなことに世間の話題がさらわれてしまっているのは、
大変嘆かわしいことだと思う。
法律というものは、
できてしまったら嫌でも適用されてしまうし、
国民の生活に直接かかわってくるものである。
それに比べれば、大臣の内面の議論など、
実に取るに足りないものではないだろうか。
そもそも、大臣が本当にろくでもない心を持っている人で、
おかしな法案を出してきたら、
そのときはみんなで否決してやればいいのである。
法案が現実に法律になるのかどうか、
今がその水際だというのに、
野党が審議拒否し、法案がろくに議論もされない状況なんて、
あってはならない事態である。
それなのにそんなことそっちのけで、
辞任の是非を、一体いつまで問うているのだろう。
思うに、国民は無知すぎる。
今もし議論すべきものがあるとしたら、
国会で立法がされている、その法案の是非についてのはずだ。
そしてマスコミには考えるための材料を提供してほしいのに、
実際にはほとんど流れてこない。
失言問題の取り上げ方など、わざとセンセーショナルに報道して、
社会の目をそちらに話をそらさせているのかと思うくらいだ。
結果として、国民は一体どんな法案が話し合われているかも知らない。
これは受け取る側の問題でもあるのだが、
マスコミの影響は相当に大きい。
本来であれば、良識ある一市民として、
国民ひとりひとりが自ら情報を調べ、考え、
意見を持つというのが民主主義の理想であるが、
実際には、テレビや新聞で報道されなければ、
注目もされないし、話題にもならない。
例えば、ホワイトカラーエグゼンプションは、
マスコミが「残業代ゼロ」とキャッチコピーをつけて
大々的に報道したから、世論が動いて法案提出見送りとなった。
(逆にちゃんと是非が問われたかというと疑問)
でも同じ労働関係でも、
労働契約法案や労基法の改正についてはあまり話し合われない。
報道されないからだ。
そもそも話題の柳沢発言にしても、
マスコミが「女性は機械発言」なんて銘打って報道しなければ、
聞き流されてしまう程度のものだったはずだ。
話が大きくなりすぎである。
キャッチコピーという、
わかりやすいものに飛びつきすぎではないだろうか。
ほとんど依存症である。
最近は簡単でわかりやすいことが重要視され、
キャッチコピーや見出しの良し悪しが、
人の心をつかむ全てであるかのような風潮がある。
だが逆に言うと、それだけ人はキャッチコピーにだまされやすく、
翻弄されやすいということだ。
「納豆はやせる」というキャッチコピーがあった。
本当にそうだろうか。多くの実験データの中には、
もしかしたらそういうデータもあるかもしれないけど、
それは少数派かもしれない。
絶対そうだと鵜呑みにしていいだろうか。
そうやって自分で考えて選ぶべきなのに、
キャッチコピーに飛びついておいて、
テレビ局にだまされたと後でがっかりするのは、なんとも悲しい。
そんな風にひとつのキャッチコピーの裏で、
述べられていない思いをめぐらせるだけの
想像力も余裕も、忙しい現代人にはないのだろうか。
ものごとの違う角度から見たり、
大局から見る力が失われているとしたら、
これはとても怖いことだ。
この国は少なくとも形だけは民主主義国家だから、
ものごとは多数意見で決まる。
その多数意見である大衆が、
キャッチコピーに誘導されて、
桶に入れられた水がうねり動くように、
ある意思の下で操られているかと思うと本当に恐ろしい。
投稿者 kumirin : 2007年02月05日 16:48
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kumimemo.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/49
